石上和也 Kazuya Ishigami
trash,rubbish,poor works
¥1,800
Jigen-011
trash,rubbish,poor works
¥1,800
Jigen-011
90年代初頭から関西を拠点に活動を続ける電子音響音楽家・石上和也のファースト・ソロCD。2009年5月に自主レーベルであるNEUS-318からリリースされた作品の再リリース。
2004年から2006年までの未発表・電子音響音楽作品10曲が収録。
r1 God of a stone and God of dog(2004年6月制作)
tr2 Otera de Banzai(2005年12月制作)
tr3 Story of Assaji(2006年2月制作)
tr4 mu-seki-nin ~irresponsibility~(2005年9月制作)
tr5 Zarur cradlesong(2005年3月制作)
tr6 Zarur quartet(2005年2月制作)
tr7 Devadata’s childhood(2006年2月制作)
tr8 fu-an-tei(2005年2月制作)/ 題名どおり「不安定さ」について表現した作品。
tr9 Victim is attacked from assailant protection(2006年6月制作)
tr10 God of a stone and God of dog ver2(2005年2月制作)
石上和也さんの 『がらくたでくずで粗末な作品集』
文責 坂口卓也
アポトーシス – 「落選集」 の心意気
いやはや何とも。付けも付けたりというタイトルの本作。それは石上和也さんによる2004年から2006年の未発表音源を集めたものだ。しかもここに収録されているのは彼が自ら望んで発表を控えていた音源などでは無い。アカデミックな音楽コンペティションへの応募作品ではあったのだが惜しくも落選してしまったトラックを集めたものなのだそうだ。従って本来は 「がらくた」 とも 「くず」 とも 「粗末なもの」 とも想定されていた訳では決して無い。真剣に創ったのだがたまたま落選してしまった結果として石上さん曰く 「がらくた」 で 「くず」 で 「粗末なもの」 と成り果てた音の群れが本作なのである。
このエピソードを聞いてすぐ想起したのがいわゆる LAFMS つまりロサンジェルス・フリー・ミュージック・ソサエティの発生プロセスだ。彼らは既存の音楽にはどうにも我慢がならない変わり者の一群だった。1972 年にそれこそ何と無く発生し電子音楽用の機材や日用品そしていわゆる楽器を用いて独自の音楽を創り始める。とても緩い団体 (?) で LAFMS と称してはいるが誰もロサンジェルス市内に住んでいなかったと言う。最初は特にグループ名は無かったらしい。それがどの様な脈絡によるものか 1973 年に彼らはノルウェイで催される電子音楽祭に作品を応募しようと決意する。そして取り敢えずは如何にも威厳のありそうな名前を用いて応募すれば諸事が円滑に運ぶだろうと発想した。それで考え出した名前が 『イースト・ロサンジェルス・フリー・ミュージック・ソサエティ』。繰り返すがいい加減なことに彼らの内誰もロサンジェルスに住んでいる者は居なかった。それでもおよそはその東側 (サンゲイブリエルおよびパサディナ) が居住区だったという事情から考え出した名前だったのだろう。
こんなにもややこしい段取りを経てノルウェイに送りつけたものはまずロック演奏のリハーサル。それも恐ろしく下手でロウ・ファイで楽屋落ち以前でしかあり得ない雑談が殆どという代物。もう一つは一応ブックラ・シンセサイザーを使用しているので電子音楽と呼ぶことはかろうじて出来る。だが彼らが “Ka-be-la” と呼ぶひょうきんなメロディが脱力の極みで反復するそれはもうパンクと言っても差支えなど無いトラックだった。ブックラ・シンセサイザーが用いられた経緯はおそらくメンバーのチップ・チャップマンがカリフォルニア芸術大学の大学院でモートン・サボトニックによる教育を受けていたからだと推察される。サボトニックは自身の作品にそぐう音を出す機材が欲しかったのだろう。わざわざドン・ブックラに依頼しオリジナルなシンセサイザーを開発させていた。LAFMS はそれをパンクとでも呼ぶしかない形で使いこなしてしまったのだ。
ともあれ当然のことながらこれらの作品は落選してしまう。そしてコンペティションの実行委員会からは彼らにこんなコメントが送られて来た。「音楽は確かに自由なものだ。だが (あなた方の作品において) 美学はどうなっているのだね?
と。おそらくは 『イースト・ロサンジェルス・フリー・ミュージック・ソサエティ』 といういい加減なでっちあげのグループ名から引用されたのだろう 「音楽は自由」 というテーゼ。そんなものが飛び出したのだから LAFMS は結構このコメントを喜んでいたのではないのかなと想像する。『美学』 はさておき 『自由』 をその音楽に標榜するお墨付きみたいなものを得ることが出来たのだから。
さて 『落選』 と言えば選から落ちるということだ。それにも二通りの落ち方があると想う。その一つは必然の成り行きとして落ちるという現象だ。生物学の概念だが 『アポトーシス』 というものがある。ギリシャ語の 『落葉』 がその源らしい。細胞が壊れてしまう現象だが生物にとっての傷として壊れるのでは無い。その結果として生物の全体的秩序は却って維持される。石上さんの作品が落選したこともアポトーシスなのかも知れない。そのお蔭でこのアルバムが成立したのだから。そして落選作品を一望することで石上さんの音楽にある特徴を知ることが出来るのだ。
サイケデリック・ロックからアクースマティック・アートへ
話をこのアルバムに戻そう。足掛け 3 年の間にここに収録された落選作品群を創生してしまった石上さんではあるがかつての LAFMS 連と違っていた一点があった。と言うのも彼はすでにアカデミックな電子音楽家としての充分なキャリアを持っていたのである。彼は 1972 年大阪出身の音楽家であり大阪芸術大学およびフランスの INA-GRM で教育を受けた経歴を持つ。2005 年と翌年にはドイツ国営放送からの委嘱で作品を創っているくらいだから気鋭の現代音楽作家と呼んでも差支えはないだろう。彼はロック・バンドで活動していた経歴があり現在も時々バンドで活動することがあると言う。だがその電子音楽作品は構成力・表現力において秀でた才能を見事に反映するものだ。そんな石上さんなのに何故このアルバム全体を満たす数の作品がコンクールにおいて落選してしまったのだろう (ひょっとするとそんな作品はまだまだ在るのかも知れないと私は期待する)? その理由はおそらく石上さんの資質がとてもアカデミズムには収まり切らないものだからではないのかなと想う。「こんなものを表現するのに何故この作家は秀でた構成と表現の力を行使する必要があるのだろう?
とコンクールの審査員は首をかしげたのではないかなと想像してしまうのだ。この推察を立証するには石上さんの履歴を検証する必要があるだろう。
彼は大阪の高槻市出身である。高槻と言えば 『怒涛の達人』 として一世を風靡した嘉門達夫さんやナインティナインの出身地として有名だろう。あるいは 『キン肉マン』 の作者であるゆでたまご先生もその地のご出身である。だからどうだと言う訳では全く無いのだが石上さんの誕生された年が 1972 年という LAFMS 発生の年であるのは偶然か必然なのか眩暈さえを覚えてしまう事実だろう。高校時代にはサイケデリック・ロックとプログレッシヴ・ロックを主とするロックに目覚めバンド活動を始めた。1980 年の後半から 90 年にかけての話だから丁度 CD が LP に替わるメディアとして普及し始めた時代である。レコードが売れなくなってしまい業界が困惑していた時に勇躍 CD が登場した。その結果 LP の音源を片端からディジタル化して存続を図ろうという思惑で業界は満ちる。しかも LP では出版されていなかった音源までが多々 CD 化されたのは隠蔽されていた音楽情報の普及に随分と寄与しただろう。そしてまだ大阪芸大に入学する前の石上さんはおそらくこうした情報の渦に飛び込みノイズとミュージック・コンクレートにも惹かれて行くのである。
ノイズとミュージック・コンクレートは共に新しい音楽の表現手法だが立ち位置は違う。1990 年の時点ではノイズはストリートに在りミュージック・コンクレートはアカデミズムに属する音楽のスタイルであっただろう。この事情はまだパーソナル・コンピュータが普及していなかった当時を振り返れば納得が行くと想う。コンピュータの普及によりアカデミズムに使用を限定されていたテクノロジーはストリートへと拡散したのだから。ミュージック・コンクレートはフランスのピエール・シェフェールが開発し提唱した音楽の手法であり思想である。それは 「現実音を楽音と差別することなく音楽に応用しよう」 と言う態度であっただろう。「楽器に発するものであろうと無かろうと音楽に於いてその立場は平等である。それらの応用の結果として成立する音楽がどれ程リスナーを感動させるかこそが肝要だ」 とでも言った思想では無かったのかなと私は妄想する。シェフェールはやがて 「何を源とする音であろうが音は音である。音は一切の参照事項から独立している」 という概念を 『アクースマティック』 と言う言葉で形容し始めた。そしてこのスタンスから生まれる音楽はアクースマティック・アートに属するものとして (おそらくはとても緩やかに) カテゴライズされ始めるのである。
私はちゃんとした音楽の教育を受けてはいないので妄想で発言するしか無いがシェフェールがミュージック・コンクレートの手法を発案した時点ではアクースマティック・アートを後に提唱する必要なんてまるで考えていなかったのではないかなと想う。本来は全ての音が平等に振る舞う筈のミュージック・コンクレートにおいてさえ余計な意味付けを行うアプローチあるいは聴き方が蔓延し始めたのでわざわざアクースマティック・アートを提唱せねばならなかった様な気がするのだ。
ともあれ石上さんは電子音楽とミュージック・コンクレートを学ぶ為大阪芸大に入学する。それは 1990 年のことであった。だが彼のアクティヴィティがアカデミズムに収まる訳が無く数々のストリート・レベルの活動を行い始めた。まず 1992 年からの 2 年間はノイズ・ギタリストとして 『イグアナバップ』 と言うガレージ・パンク・バンドに在籍した。その後結成 (?) したのがソロ電子音楽ユニット 『DARUIN (ダルーイン)』 である。1995 年には 『わかたけ』 と 『大名行列』 と言うそれぞれノイズ・バンドに参加。この年現在までメンバーとして活動する電子即興ノイズ・ユニット 『Billy?』 にも加入した。これらストリートでの活動と並行し 2 年後にはフランスの INA-GRM (フランス国立視聴覚研究所音楽探求グループ) の夏期アトリエに参加し作品の制作と発表を行っている。
その後彼の活動は極度に多岐にわたり国際化しているが特に重要と想われるものを抜粋しておこう。
・1999 年 – 神戸のアーティスト・グループ 『ACT KOBE』 に参加し欧州公演を行う。
・2002 年 – 神戸にて C.U.E. を設立しインターネットを媒体とする定期的なストリーミング・ライヴを行う。C.U.E. は自主レーベル NEUS 318 へとつながって行く。
・2004 年 – 歴史あるドイツの実験音楽レーベル WERGO から Johannes S. Sistermanns とのコラボレーション CD 『etc random』 を発表。
・2009 年 – 自身のレーベル NEUS-318 から本作 『trash, rubbish, poor works』 を発表。
・2010 年 – 日本の実験音楽レーベル Omega Point からアクースマティック作品集 『発心の兆し』 を発表。
・2012 年 – 実験音楽雑誌 『音人』 を創刊。
・2013 年 – 『神戸電子音響音楽祭』 を主催。
この他にも海外からの招聘と委嘱による作品の制作および様々な催しの主催がある。つまり石上さんはアカデミズムとストリートの双方で精力的に他に例を見ない活動を継続する作家なのだ。
お寺で万歳?
さて愈々本作に言及せねばならないがすでに収録トラックについては石上さん自身がこんな解説をインターネットにおいて行っている。
トラック 1. God of a stone and God of dog (2004年) – 石神、犬神を題材にした作品。
トラック 2. Otera de Banzai (2005年) – 大阪市平野区のお寺である全興寺で開催された 『音の縁日 VOL.3』 で演奏した音素材を用いて制作した作品。
トラック 3. Story of Assaji (2006年) – 釈迦の弟子アッサジを題材にした作品。
トラック 4. mu-seki-nin ~irresponsibility~ (2005年) – 音、音楽に対しての責任、人生や死、安らぎに対しての責任を持つべきだと思う。といったメッセージを含んだ作品。
トラック 5. Zarur cradlesong (2005年) – ZARUR (ザラー) という、自作のチープなフィード・バック・システムを用いた、2002年〜2004年頃のライブ音源を素材にしてリミックスを行った作品。
トラック 6. Zarur quartet(2005年) – トラック 5と同じくZARURを用いたライブ音源を素材にしてリミックスした作品。
トラック 7. Devadata’s childhood (2006年) – 釈迦の従兄弟であり弟子である提婆達多 (ダイバダッタ) を題材にした作品。
トラック 8. fu-an-tei (2005年) – 題名どおり 「不安定さ」 について表現した作品。
トラック 9. Victim is attacked from assailant protection (2006年) – 「宗教の対立の矛盾」・「報復についての矛盾」 を題材にした作品。
トラック 10. God of a stone and God of dog ver2 (2005年) – トラック 1の別バージョン作品。
このアルバムについて記された文章がすでにインターネットにおいて散見されるが仏教とのリンクについて述べた文章をそこに見出すことが出来る。だが私自身はここで石上さんが言及しておられる様な仏教についての知識を持ち合わせてはいない。従って石上さんによるこれらの解説を元に作品の意味を論じることは避けようと想う。むしろ 「これらのトラックがアクースマティックの作品だとしたら」 と言う観点からの短いコメントを寄せるに留めたい。
例えば 2 トラック目の 「お寺で万歳」 は我々日本人が聴くと何とも奇妙な印象を受けてしまう。「何故お寺で万歳をする必要があったのだろうか?
とか 「何故その録音を執拗に変調し繰り返す必要があるのだろうか?
とか余計なことを一杯考える。これが即ち 『煩悩』 なのであり我々が素直に世界を見ることを妨げるものだ。だが日本語を理解することが出来ず 「一切の参照事項から解放されている」 立場に在ればどうだろう? そんな 「アクースマティックな聴き方」 をすればこの作品は独特の恍惚 (トランス) 感を惹起する電子音楽なのだということが理解される。そして知識を超えて体験することの出来るそんな感覚に仏教とのリンクが潜んでいるのではないかなと妄想してしまうのだ。その時にこそリスナーは石上さんの見事な演奏技術の向こうに在る何かに触れることが出来るだろう。
平成 26 年 5月
石上和也 Kazuya Ishigami 「trash, rubbish, poor works」 (jigen-011)に寄せて
2014年5月 宮本隆 (時弦プロダクション)
ラップトップや自作シンセサイザーを駆使し、関西における電子音響音楽のパイオニアである石上和也のアルバムを私が主宰する時弦プロダクションからリリースした。
芸大の学生だった石上君としばしばセッションをしていたのは今から20年以上前のことで、当時、彼はギタリストであった。電子音楽を専攻しているとは知っていたが、彼のギタースタイルはノイジーかつジャンキーなフリースタイルで、そんな特異系ギタリストの石上和也を私は好きだった。彼はもはやパンク的とも言える衝動性を持っており、私は当時、「こいつは本当に芸大のアカデミーに生息する人間なのか」と思ったりしたものだ。
ただ、今となって思えば、彼はギターで<音の響き>を追求していた点に於いて、音響を得意とする現在につながる意識の継続という事を認めないわけにはいかないだろう。彼のギターは確かにスケールアウトな即興ではなく、音の物質性、そのリアルタイムな選択を表現するスタイルであった。過剰なエフェクトではなかったが、奏法やタイム感覚の独自性は自由そのものであり、ユーモラスでもあった。そして私が当時、感心していたのはその活動意欲の広範な点である。彼は所属意識というものが無いのか、電子音響音楽、ノイズ、即興、挙句の果てには弾き語り、ダッラガッパという漫画雑誌を発行したり、とにかく縦横無尽に走り回っている印象で、イグアナバップというハードコアバンドを結成するかと思えば‘わかたけ’というグループにも参加していた。私はこれだけいろんな所に顔をつっこんで、よく自分を見失わないなと感心したもので、その色んな方向へと前進するスピードがすごいと思っていた。現在も本業である講師としては、ポピュラー音楽の基礎理論を教えていたりもするらしいのだが、その守備範囲の広さは尋常ではないのだ。
そんな多彩な活動を続ける石上君のソロCD第一弾がこのアルバムである。電子音響音楽作品集とのことだが、私は電子音響音楽については、よく解っていない。そもそも、このアルバムに収録されている作品は、ノイズともいえるしアンビエントともいえるのじゃないのか、とも思う。しかし、ジャンル分けはどうでもよい。石上ワールド全快の作品集であるという事は間違いないからである。陳腐な言い方になるが、オリジナルってやつなのかもしれない。
石上ワールド全快で、自信に満ちあふれていてもおかしくないはずのソロCD第一弾であるが、収録されている作品は「落選・失敗作品」とのことだそうだ。本気なのか、ふざけているのか、なんでなの? しかし当の本人は真面目に本気で、これらの「落選・失敗作品」を世に送り出そうと決意したらしい。
石上君から聞いた話によると、彼は以前あちらこちらのレーベルにデモを送りまくっていたそうだが、レーベルからは返事無し、あってもイマイチな反応だったり、そういった事が続いていたそうだ。そんな状況に失望していった、というよりも、ある種の快感というか悟りに近いものを感じていったそうである。そう言われてみると、確かに彼の作品のタイトルやコンセプトが、時に自虐的でアイロニカルなのも理解できる。
自虐的でアイロニカルなスタイルは、彼にとっての照れ隠しなのかもしれない。というのも、端から見るとアカデミックな方面での音楽活動にも力を注いでいるようにみえる石上君だが、どうやら芸術至上主義が嫌いみたいである。なんでも、そういった類の音楽は「解る人だけ解れば良い」といった傾向に陥りやすいが、そういったことが特に嫌いだとのことだそうだ。恐らく「アカデミックな方面の音楽」にカテゴライズされてしまう事は、本人にとってはあまり好ましいとは思っていないのかもしれない。そういう意味で、彼は平凡・普通であり続けたい音楽家なんだろうと思う。
YOUTUBEに彼が大学でミュージックコンクレートについて講義している動画があるが、これがなかなか笑える。いや、真面目に講義している彼には失礼だが、そのベタベタな大阪弁でアカデミックな内容をレクチャーするその姿がどこかユーモラスなのだが、実際、彼はとんでもなくナイスガイな奴で、周りの信頼は厚い。私は最近、石上和也、木村文彦と3人で3mirrorsというグループを結成し、ライブ活動を行っている。